ケセラセラ けら。 2009.05.02

GNPでいうと 日本は世界で2番目に裕福な国なはずなのに、
なぜ、みんな疲れて、病んでいてマイナスな話題が多いのだろう。

この前ある方から
「この日本で成人が5000万人として、
毎朝起きた時に『あぁ今日も幸せだなぁ』と思ってる人が何人ぐらいいると思う?」ときかれ、
私は「1000万人ぐらいですかねぇ」と答えた

同じ質問を友達にしてみたところ、友は「500万人ぐらいかな」と答えた。

あなたは 何人ぐらいだと思う?

前にも書いたけど、
「幸せ」とか「平和」という言葉が存在しない国の子供たちは目がキラキラし、とても幸せそうなのだそうです。

つまり 不幸を知ったが故に幸せという言葉が生まれ、
平和という言葉を口にする時点で、平和ではないということですね。

オバマさんが「これからは テロという言葉を使わない。そういう時代は終わりにする」
と宣言したのは素晴らしい事だと思います。

私たち日本人は
やみくもに将来に不安を抱える、心配性な国民かもしれません。

幸せは つかむものでも、歩いてくるものでもなく、
最初から近くにあるのに 
それに気付けないだけかもしれません。

私は毎朝、とはいわないまでも けっこう幸せです。

目の前に壁がいくつかできるとつい、お先真っ暗と思ってしまう時もあるけど

そんなことは決してないですと もう1人の強い自分が出てきたり

たぶん誰にでも葛藤はあるとしたら
楽天的なほうが わりと壁もひょいひょいと乗り越えられると思います。

全ては気の持ちようなので 笑って乗り切りましょー。

ちっぽけで大きなこと 2009.03.31

ある人はくじらを見たとき、
ある人はスカイダイビングをしたとき、
ある人はグランドキャニオンを見たとき、
またある人は大きな病気や手術をしたとき
人生観が変わるといいます。

私たちは、大きな大きな大宇宙の中の小宇宙の中の銀河系の中の太陽系の中のひとつの☆、地球という星の中の日本という国に住む、小さな小さな存在。

宇宙的規模で考えれば、今抱えている悩みなど何てことない
むしろそんなちっぽけな悩みでつまづいている自分が馬鹿みたいに思えます。
人に敵意を持ったり、人とのストレスで悩むことすら無駄に思えます。

『この世に宗教がなければ世界は平和になる』

そう言った人がいます。
それに同感している人も多く存在します。
私もその一人です。
一方で、自分の宗派、思想にこだわり、それ以外のものを批判、排除する人たちも多く存在します。
それにより今も戦争が起きています。

地球に住む人間はまだレベルが低い、宇宙の中では地球は幼稚園のような場所なのだときいたことがあります。
私たちの中には、時々 超能力を持ってる人がいるけれど
本来、人間にはそんな能力が備わっていたのに
使わないうちに忘れてしまったみたいです。
それどころか、本能で「これはおかしくないだろうか」と疑問を持つことすら忘れ
目や耳から入って来る情報をそのまま受け取っているように思います。

思想、、、キリストも仏陀も、元を正せば真理は同じ事のようですね。
ただ、その真理が、個々の思惑の入った解釈によって書物として書き換えられ、
様々な宗教として分け広がっていったようです。

「汝 隣人を愛せよ」を広めようと、各家をまわる方がいらっしゃいます。
うちにもよくピンポンして本を置いていきます。
その方はご自分の家族を十分愛していらっしゃるでしょうか。
私がとてもお世話になった知人が、ある日ある宗教にはまり、家族も仕事もおざなりにして布教活動にいそしむようになって約6年が過ぎようとしています。。
私にはよくわかりませんが、ある一つの信仰を貫くことにより、それ以外が悪となり、敵意や恐怖心を持つようになり、それが戦争をひき起こす要因に繋がるであれば、そんなもんは一切持たないのが一番だと思います。

考えてみれば、わずかなお賽銭で私たちひとりひとりの利己的な望みを
神様がきいてくれるわけもない。(金額の問題はないと思いますが)
でも、もしかしたら皆で世界の平和を祈ってみたら
その祈りはひとつの大きな「想念」というエネルギー体になって事を動かす力になる気がします。

私も欲張りだから欲しいものたくさんあるし、今までの経験を思い起こして先を不安に思ったり、よくないことも考えたりします。
そんな時は深呼吸。
私には知識がないから、ただ「不思議」という言葉でしか言い換えられないけど
この広い宇宙の中で、一瞬でも存在してる自分がいるなら
楽しく精一杯生きて、きれいな光を放ちたいって思います。
外野の声は気にせず、
既成概念も気にせず、
愛するものがひとつでも増えればいいなと思います。
苦しい思いをしてる人に「本当は苦しくなんかないんだよ」て
伝えられたらすごくいいなぁと思います。
肉体には限界があるので、いたわりながら
楽しい事をいっぱい吸収できる体でいたいと思います。
おかげさまで、今を幸せに生きていられることに感謝です。

たとえ悪い事が降り掛かったとしても
それは長い人生の間の一つの出来事で、大したことではないと
そのくらい軽く流しながら次に向かう準備をしたいです。
幸せな人は 幸せなことしか考えないし、幸せなことしか口にしません。
いい言葉を発していると、顔の筋肉がそれを覚えていい表情を作るのだそうです。
うん、これはきっと当たってる。

今は時代が動いている時、今までの生き方が通用しなくなる時期にきているような気がします。
だからこそ正しいことをしていれば、必ずいい結果が出てくると思うので
周りに流されることなく、だまされることなく、悲観することなく
自分がなにをすべきかをシンプルに考えていくのは大切だと思います。

ひそかに 2009.02.24

ブログがちょうどメンテ中だったので
ひさーしぶりに日記を書いてみました。

ちょい昔の文豪風な日記が懐かしい。。

基本は何も変わっていないけれど
いろんな人と関わっていく中で
力が抜けたというか
多くを語らずとも、ちゃんとわかっててくれる人がいるんだってことが
私を自由にしてくれた気がします。

60才にしてデビューした歌手がいらっしゃるように
諦めず、ひたむきに続けていれば
誰にでも何かしらのチャンスがあって
頑張ってる人には必ずご褒美があるのだと思います。
頑張ってる人に他人の文句を言ってるヒマはありません。

私にとって一番怖いのは 嫉妬 という感情です。
女性の98%は嫉妬でできてる、と言った人がいたけれど
それは女性に限ったことではないだろうし、私には嫉妬という感情はあまり理解できません。
人の負のパワーは とてつもなく強く
時に破滅へと追い込む力さえあります。
だからどうか、みんなが幸せでいて欲しいと願います。
みんながちょっとずつ幸せであれば
誰の足をひっぱらず、妬みや恨みという恐ろしい感情も薄らぐと思うのです。

こんな混沌とした時代に 生きていられるだけ幸せです。
今日も笑えて、明日も笑えるように
一日ひとつ 楽しいことを見つけていこうと思います。

女は年をとっていくとかわいくなくなると言われるけれど
それは 一理あると思います。
それは 見た目の問題でなく、性格がかわいくなくなるのだと思います。

私の友達でも「最近人の幸せを喜べないんだよね」て言ってたけど
将来を不安に思ったり、人を羨む気持ちは私にもあります。
でも人を褒めたり、頑張ってる人を応援したり、頑張れてない人を励ましたり、いいところをのばしてあげようっていう思いやりが
きっと最後に自分に返ってくる気がします。
いくつになっても かわいげのある女でいることは すなわち幸せの条件だと思います。

ひさしぶりだ 2008.05.19

5/18はことばの日なのだそうだ。
おしえてもらって今日初めて知った。
だからというわけではないが、今日は友達と食事しながらまじめに語った。
「自分らしく生きる」がひとつのテーマだったが
これも人それぞれ解釈の仕方が違うので 何とも言えない。
たとえば自分らしくいる為に人からどう見られようが気にしない、
というのはある意味同感できるけれど
人を不快にしてまで自分を押し通すのとは違うし、
自分らしくいたいからひきこもりでいい というわけでもない。
そもそも個性は、生まれつき備わっていると思うので
特に自分らしくなんて考えなくても 十分その人らしいはずだ。
それを抑制するのも開放するのも 自分が決めていることなのだ。

文章の、いわゆる「行間を読む」 そんな奥ゆかしさが日本人のよさだった
今の日本では言葉を読み取る力や人との距離感をつかむ力が弱っているように思う
いろいろな物に神様が宿り、言葉に魂が存在していた昔の日本人の美徳は
時代とともに褪せていくのだろうか。
欧米化で、大雑把になってしまったのだろうか。
ハンバーガーばかり食べているからだろうか。
ちなみに私 ハンバーガーは年に1、2度。

私は空気を読むという言葉が嫌い、とMCで言ったことがある。
それは 今使われている「空気を読む」という言葉が正しい意味で使われていないから。
よくあるじゃない?
その場にいる誰もが気を遣って結局誰も楽しくないっていうパターン。
それって居心地が悪いだけで 結局気遣いではないように思うのだ。
だったらそんな空気は読まなくていいと思うのだ。

それと、丁寧に説明してもわかってもらえなかった事があるのだが
いくら「自分は正直で嘘をつけない人なんです」とはいえ
他の人が迷惑することをぺらぺらと喋るのは正直とは言えないし
黙っていることで 必要以上に相手を傷つけないで済む事ってあると思うんだ。
自分のことを包み隠さずオープンに話すのは自由だけど
人間関係上、これは言わなくていいだろう、という判断はすべきだと思う。

今やネットでは言葉の暴力が横行しているけれど
言葉は実際の暴力より深く心に傷がつく。
殴られても傷は治るけど、心についた傷はなかなか治らない。
それでも人は自分以外の人には心がないかのように、刃を向けたりするんだな
そんな言の葉は ひらひらと舞い、いつか自分に舞い戻ってくる。そう信じている。
口が悪いのと悪口は違う
愛と信頼関係がないと毒は吐けない。
それを読み取れるかどうかは 普段どう人と接しているか、どれだけの経験をしてきたか、頭のハードディスクがどれだけくるくるまわっているかがキーだと思う。

やうこなんて嫌い、て言う人もいる
でも私はその人のこと 嫌いじゃない。
嫌いなものより好きなものが多いほうが人生楽しい。

新年にあたり。 2008.01.02

新年を迎え 信念も新たに進みたいと思います。
と、じじいのような挨拶をしたところで
何年ぶりかの穏やかなお正月を迎えている私です。
去年は風邪で寝込んで気づいたら年があけていた。。
やりたいことをやらせてもらえない苛立ち、自信を削がれるような言葉
私は自分の中の光を失い、もう音楽をやめてしまおうかと思っていたの。
「やうこちゃんは何をやってもデキる子だよ、僕の仕事の片腕にならないかい?」
偉いおじさまに声をかけられ、ついにこの時がきたか、と一瞬やめる覚悟をした。 
でも そこで超前向きな自分が出てきて
『何をやってもできるなら、音楽だってできるだろ』て思ったのね。
これでもかって頑張って それでもダメなら辞める決意もできる。
だからもう一度 大好きな音楽をひたむきにやろう、て思ったの。
そのとき、不思議と一番嫌いだったはずの人を頼った。
本能がその人を求めたのかな。
一緒に組みましょう、と声をかけた『じいや』は とても慎重だった。
そりゃそうだ ちょっと前までじいやに噛み付いてたんだから。
「やうこは天才、だけど 野獣のような子 だから扱いを間違えてはいけない」
ほぼ1年をかけて、じいやとの信頼関係を築いていった。
冬の高山にいる”オコジョ”て動物 知ってる?
見た目はかわいらしい小動物なのに 肉食で獰猛なの。
なんとなく私がそれに例えられるのがわかる気がした。
ここ数年のうちに 
「金がかかるからライブはやらない、地道など無駄、女は売れると態度が変わる」
と、上から押さえつけられたままの私は 行き場もやる気も失っていた。
あぁまた飼い殺しか。
私はいつもこのスパイラルにはまりやすかった。
カナリア という歌を作った
燃えるように赤いカナリアが 無邪気で自由だった幼い頃の自分を呼び起こし、
私はカゴの鳥なんかじゃない、
自分を縛っているのは自分自身、
いつだって飛び立つことができるんだって決意を込めて。
じいやはいつも「やうこはもっとわがままを言っていい」と言ってた。
最近は「こいつは地球外生物だから みんなまともに話を聞くなよ〜」
て嬉しそうに言ってる。
私はじいや、そして周りのみんなの支えのおかげで
自由でのびやかな自分に戻ることができたんだなって。

それから去年は 信じてた人に簡単に裏切られる事もあった。
それでも私は人間が好き。
ネガティブな発想は 何一ついいものを生まないから
悪い事はばーっと吐き出したら 忘れる。
いろんな欲で他人を支配したり、悪いことはなくならないかもしれないけど
それに負けないくらい輝いてる人たちもいて、私はその人たちに助けられたから
私も闇を照らす光のひとつでいるって決めた。
ときどき毒は吐くけどね えへへ。
強さと優しさと可憐さを備えた素敵な女性になりたいと思います。
ていうか いい歌作って歌えよ、てかんじだよね。
今年は体力作りにも励み、ていねいにいい仕事をします。
頑張るから 見守っててね


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